ジョンエスアームストロング

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文章について、私が心しておきたいこと
 他人が書いた文章というのは、わが身を考えず、つい気になるところばかり目についてしまいます。重複するものもあると思いますが、私が他人に読んでもらうものについて、戒めとしたいことを書きました。
「なるほど。実践していないだけなのだな」と思われるでしょう。努力してまいりますので、気長に見まもってください。(*'▽')
読者の側になって推敲すること
 書く時は書き手の目線でいいが、読者目線での「読みやすさ、分かりやすさ」をおろそかにしてはならない。
 書きあげた自分は何が書いてあるかが分かり切っているので、流し読みになりがちである。初めて目にしているという強い意識で読まないと、分かりにくさに気がつかない。
 読み手を意識しないと、書き漏らしたことか、もっとクレバーな表現に変えようというような自分本位の視点になりがちである。
音読しやすい文章であること
()は、出来るかぎりそれに続く文章と(音読して)繋がるように工夫する。
 長すぎる文章が()の中にあり、しかもそれに続く文章と繋がらない書き方がされたものは、もう一度その文章を最初から読み直さないと、意味が頭に入らない。
 また、「」の多い文章はうるさく、堅苦しい。まして、自分が思ったことまで「」で囲むのはやりすぎである。
獲得語彙と使用語彙は違う
 語彙は豊富でなければならないが、使うに際しては慎重でなければならない。自分の書いたものの発表の機会を、新しく獲得した言葉の試用の場にしてはならない。
 ひとつの著作物に何度も同じ言葉を使うのは、緊張感のなさのあらわれである。
気取った文章は嫌われる
 よく見られたいという誘惑に負けて得られる自己満足は、他者と共有できない独りよがり。こういうのを読まされた読者は白けてしまい、爽快に思うのは自分だけ。
 気取らない平易な言葉、飾らない文章は好感を持たれる。
引用したものは、その理由をはっきりさせなければならない
 他人の著作物の文章を引用するだけで、自分の思いを語ったつもりになってはならない。同意できること、共感できることがあるのなら、それを具体的に示さなければならない。
他者の模倣と感じさせてはならない
 こういう著作物はこういう書き方をするものだと思いこんではならない。
 廃れてしまった古めかしい言葉は、それを用いることに特別な意味がある場合以外は使わない。
 先人の書いたもので読者が何度もお目にかかったような語り口や言い回しは、伝えたいことを台無しにしてしまう。
癖のある文章であってはならない
 同じ言い方を避けたいのなら、その著作物だけでなく、自分の他の著作も含めて注意すべきである。
 同じような言い換えのパターンを、その著者の他の文章で何度も目にする読者は、見え見えの工夫にうんざりする。
 個性的な文章のつもりが、鼻につく表現を多用していることもある。そういう表現に読者が慣れることはなく、疎んじられるだけである。
他者の著作物への過度な賛辞は反感を招く
 感情的で具体性に乏しい賛辞は、自分の判断力や思考力が安定した評価を得ているという傲慢さの表れである。
 他者の著作物を語るとき、その文章の量にまで触れる必要はない。評価の尺度は簡明であるか否かである。
仰々しい言葉は使わない
 自分の行動について語るときは勿体ぶった印象を与えないように気をつけなければならない。
「見つけた、覚えている、借りた、持っている、行った…」で十分であるのに、大層な慣用句や熟語に置きかえない。
自分の著作物は備忘録ではない
 引用した本の何処に書かれているのかを明記する必要はない、正確であれば済むことである。
 本のタイトルと著者名だけで示せるのであれば、出版社について語るのでない限り、社名まで書く必要はない。引用したものの詳しすぎる説明は、読者にそれを読むことを勧めているように感じさせる。本の紹介は書評家に任せればよいことである。
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出せない1枚にも
年賀状への宛名印刷は12月の初めに終えていました 喪中欠礼のお葉書は、もう到着しないだろうと見極めをつけて
手書きのスペースを小さくするための姑息なペンシルパズルができ、毎年代り映えのしない小さな絵もようやく描けたので、その印刷も終わりました
さて、これからも時間がかかります
お出しする相手と私との関係にふさわしいことを書こうとするのですが、前の年と似たようなことを書かないように、エクセルに残した昨年の文面を確認して、先ずパソコンに入力し、それを葉書にボールペンで書くというのをお一人ずつしていきます
軽率なことを書かないようにと注意するのでとても時間がかかるのです
 軽率なのがお前から来とるけど?
           (^^;)
 字が下手なのでゆっくり書こうとしても、数枚書くと焦ってしまうのか油断するのか、漢字を間違えたり余計に下手になりますので、1日に何枚も書けません。
 私が運営を担当しているブログに、私の年賀葉書の作成の様子をネタに書いたことが何回かあるのですが、それへのコメントに、年賀葉書を受付が始まる日までに郵便局へ持って行って局長に迷惑をかけたと書かれたことがありました。コメントには普通ならコメントで返事を書くようにしていますが、痛快だったと言ってるようなコメントに感じたので放置しました。
 その3年後に年賀葉書を記事に書いた時も、この人が前回書いた顛末をより詳しくコメント欄に書いてきました。その時もコメント欄には返事を書かず、ただ、年賀はがきをネタにした記事が書きにくくなったことだけは残念でした。
 これをしましたというような記事はよく書きます。そういうのを避けていたら書けることがあまりありません。自慢話にならないように、実数値は書かないなど、注意しているつもりなのです。それでも自慢話に受け取られることがあるのでしょうね。それがこういうコメントを誘発させるのかも知れません。
 12月6日、親しくさせていただいた方がお亡くなりになりました。
 その方への年賀葉書の宛名印刷は終えていましたので、お出しすることはできませんが、その方への感謝の思いを書きました。その1枚を残して昨日、いつもの郵便局へ持っていきました。
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大学芋を作ってみました
 私は数年ほど、勤めていた会社の料理部にいたことがあるのですが、遊び半分で参加していたので、ほんの僅かな料理しか知らず、それを繰り返してしているだけです。
 友人からもらったサツマイモで、大学芋を作ってみました。その友人が大学芋にしたと言うので、私もそうしたのです。
 最初は、たまたま手近にあったレシピで、縦半分に切った芋をレンジで温めてから、一口大に切る方式でしてみたのですが、次は単に一口大に切ったのを最初からフライパンで焼く方式でやってみました。
 レンジの時と違い、芋の表面は焦げ色がついても、中がいつまでも固そうな気がして、つい焦がしすぎたかも知れません。
 遊び半分でやっていたから、火加減とか時間という経験則ができていないのですね。
けれども、サツマイモ自体がよかったからでしょう。
とても美味しくできあがりました。(*^^)v

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勝手に代弁されたくない熟語
 今日もいい香りを期待して歩いていても、まったく匂いのしないことがあります。
 風向きのせいでしょうか。
金木犀
 新聞の囲碁や将棋の記事で棋戦にからんだことが書かれているとき、たまに「悲願」という文字を見ます。ある棋戦のタイトル奪取が、その棋士の悲願と書かれたりすることがあるのです。
 当の棋士が本当に、私の悲願ですとか、悲願でしたと言ったのだろうかと疑います。
 記者や編集者が自社主催のタイトル戦を重く位置付けて、勝手にその大層な言葉を使って棋士の思いを代弁しているのではないかと。
 リーグ戦で挑戦者を決めるシステムの場合、予選のトーナメント戦から勝ち上がってリーグ戦の定員に入ることを「黄金の椅子」と書かれていることもあります。
 もったいぶるのもほどほどに、と思います。
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朝日新聞の訂正記事から
 今朝の朝日歌壇に次の投稿歌がありました。
亡妻の衣類ビニール袋に十三箇所定の場所にゴミとして出す
(さいたま市・石塚義夫)
 たとえ投稿者が実際に「個」「箇」と書き誤っていたとしても、編集部では石塚さんに確認して修正することができたでしょうし、そうでもしなければ、これが選に入るはずはなかったでしょう。
 8月9日の朝日歌壇では、次のようにお詫びが書かれていました(字を大きくしている箇所は muca によるものです)。
 2日付歌壇の秋田彦子さんの作中で「鮭」とあるのは「蛙」の誤りでした。正しくは「数匹の蛙の目玉浮く池にトマトとナスの水もらうなり」です。編集部で入力を誤りました。
 入力を誤りましたという決まり文句ではなく(「確認が不十分でした」も多いですね)、「歌として読んでみることを怠り、誤字を入力しました」と、誤りが発生した原因を正確に書くべきです。
 歌としてどうかとまで判断できなくても、文章としておかしくないかぐらいのチェックは問題なくできるはずだと思うのです。
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ささやかだけど出来る大事なこと
 新型コロナウイルスに私は無力だ。けれども出来ることはある。
 感染の拡大を防止するための協力がそれだ。
 生活のための必要最小限以外の外出はしない。これを自分と家族のためにだけすることだと思っている人が少なくない。
 働くことができなくなり、収入を得る手段がなくなっている多くの人のことを考えたことがあるのだろうか。
 自分が感染しないことで、知らないうちに他人を感染させてしまう危険をなくす。
 生活する手段を奪われている人たちが少しでも早く元の状態に戻れるための我慢。
 それが働いていない者にもできる大事なこと。
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朝日新聞の連載小説
 連載中の小説が早く終わらないかと思う。
 今はポーカーの場面が長々と続き、毎朝、もうそろそろこのシーンが終わっていないかとざっと眺めるのだが、ため息とともにページをめくるのみである。
 ギャンブル依存症についても、朝日は厳しい視点を持っていたはずだ。
 このままでは購読をやめるしかないのかもしれない。
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近江神宮の元日
 2列か3列に並んだ人たちは拝殿まで整然と歩いていきますが、可笑しいのは拝殿に到着しても列が少しも崩れていないようです。
「拝殿の前ではいっぱいに広がってお参りくださいませ」という放送がひっきりなしに聞こえていました。
 列がゆっくりとしか進まないので、神官の方もたいへんですね。

 私の地域の神社の紙垂(しで)の形は美しくないと思っているので、今日はしっかりと近江神宮方式の美しさを記録し、軽鎮ではありますが意見を申し述べるつもりです。
我が神社の伝統ある様式美をどのようにお考えじゃ!
 と、うまい具合に反対意見を誘発できたら、責任をとって常任役員をやめさせていただく正当な(?)理由になります。
 紙垂の下方がすべて広がっているこの姿が美しいと私は思います。
 私どもの神社は、下が2枚に分かれるように作らないのです(輪の状態にする)。
 注連縄を緩めて先端を差し込んであるのも美く、作業も楽に思います。
 私どもでは先端に紅白の紐を通し、注連縄に結びつけます。
 注連縄が上等じゃないので、ここまでするのは無理かも。

 神楽所の前ですが、5日までのご祈祷にはすべて神楽が舞われるそうです。
 令和2年の恵方は西南西と書かれています。
 昨年も入りましたが、(かるた祭が行われる)近江勧学館の2階です。
 競技に用いられる取り札は激しくはじかれたりするので、畳に触れる面積が小さくなるように少し反らせてあり、かなりの厚みもあるそうです。
 絵札は左の木製の容器のようなものに重ねてセットされるように思いました。

 1階の受付のテーブルに貼られていた紙です。
 こちらはどのように行われるのかが分かります。
 取り札100枚を全てばら撒くのですね。
 この画像と次の画像を逆に表示させておりました。
 カルタ取り用語でいう「お手つき」と似ていて、恥ずかしい。(^^;)

 こちらは、百人一首の競技に慣れながら歌も覚えていくために作られた札を使うようです(絵札と取り札が「きまり字」別に20枚ずつ、5種の色分けがされている)。
 市販されているものが幾つもあるようですが、きまり字をどういう基準で5つに分けてあるのかとか、競技のやり方が私にはわかりません。
 1階にきまり字が1字のものだけの大きな絵札があり、これを使って館内の何処で写真を撮ってもいいと書いてありました。
 7枚ある内のこれを選んで持ち歩きましたが、適当な場所が見つからなかったので、2階の片隅で写真を撮りました。
 この方に持っていただいたのですが、片恋を暗示している歌のように見えてきて不思議。(^^;)
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年末のご挨拶にかえて(?)
 年末は気ぜわしいです。
 今年もやめるわけにいかないと(ご大層に)覚悟を決めて年賀葉書は12月6日に買いました。
 配達のついでに郵便局員が年賀ハガキの申込書(葉書になってるの)をくれるのを待っていたのですが、なぜか今年はそういうお願いがなかったので。
 年賀状の構図は簡単。パズル「数置」でスペースの大半を埋めることに決めていて、あれこれ悩むのを放棄してます。
 私が命名した「数置」はこのブログを訪問いただいている方はご存じの、数独やナンプレなどと同じルールです。
 公開しておく数字の位置を干支にちなんだものにするのは、毎年変わり映えしないデザインのせめてものアクセント。
 ところが、9×9しかないマスの数でネズミの顔を表現できる才能は私にないので、例えば「子」という漢字にしたいのですが、概して漢字は縦線と横線が長いため、公開位置が分散しないので問題が作れません。
(何にしたかを今の時点で書いてしまうわけにはいきませんが)試行錯誤を繰り返して1個だけ問題ができました。偶然にも手ごろな難しさがあるのでほっとしています。
 使いまわしの自分のイラストと、ネズミくん(パクってきたのを修正しただけ)を添え、それに雪の結晶を何個も描いただけの面妖なしろもの。
 わずかでも手書きがあったほうがましかと思い、添え書きのための余白をほんの少し残して印刷終了。
 実際に手で書き始めると、なかなか思うように進まないことがわかりました。
 たいしたこと書くわけじゃないけど(失礼)、字が下手なくせにイラチのせいか1枚ごとに書くスピードが速くなり、数枚書くと書き損じてしまうので1日に何枚も書けない。
 それでも21日に書き終えたので、月曜日を待って近くの郵便局へ持っていきました。
「年賀はがきをここで出していい?」と言いやすいのは、その郵便局の前にあるポストが小さくて一個しか投函口がないからです(通常郵便物と年賀葉書に分けてない)。
 窓口の女性が(買ったときと同じ方)、ニコっとして「ありがとうございます」と言ってくれ、とても気持ちがよかったです。
「販売時点で感謝の表明は完了しております」ではなかった。(^-^)
主菓子の名前を忘れました
 25日と26日でしたか、複数のテレビ局で、年賀状にふさわしくない言葉というのを紹介していました。
 目上の方には適切ではない熟語を(思い切り目立つところに)使ってしまった後に教えてくれる親切な番組でした(泣)。
 ということで、そういうのが届くかも知れないあなた様への事前の予告とお詫びで、年末のご挨拶にかえるものです。(^^;)
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ドア付近の広告から
 私たちのNPO法人が京都環境フェスティバルに出店していたのですが、その会場に向かうJRで。
 ドア付近の広告が目に留まったので、空いていて誰にも見られていないようなのを幸い、スマホで撮りました。
その胃痛、俺が引きうけよう
 見た瞬間に、ゴルゴ13が「こいつで楽にしてあげよう」と言ってるように見えたのですが、日頃は友人の一人から、たいがいのものを斜(はす)に見てると評されてはいるものの、大胆な製薬会社に思えました。
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植物園で
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