他人が書いた文章というのは、わが身を考えず、つい気になるところばかり目についてしまいます。重複するものもあると思いますが、私が他人に読んでもらうものについて、戒めとしたいことを書きました。
「なるほど。実践していないだけなのだな」と思われるでしょう。努力してまいりますので、気長に見まもってください。(*'▽')
「なるほど。実践していないだけなのだな」と思われるでしょう。努力してまいりますので、気長に見まもってください。(*'▽')
読者の側になって推敲すること |
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書く時は書き手の目線でいいが、読者目線での「読みやすさ、分かりやすさ」をおろそかにしてはならない。 書きあげた自分は何が書いてあるかが分かり切っているので、流し読みになりがちである。初めて目にしているという強い意識で読まないと、分かりにくさに気がつかない。 読み手を意識しないと、書き漏らしたことか、もっとクレバーな表現に変えようというような自分本位の視点になりがちである。 |
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音読しやすい文章であること |
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()は、出来るかぎりそれに続く文章と(音読して)繋がるように工夫する。 長すぎる文章が()の中にあり、しかもそれに続く文章と繋がらない書き方がされたものは、もう一度その文章を最初から読み直さないと、意味が頭に入らない。 また、「」の多い文章はうるさく、堅苦しい。まして、自分が思ったことまで「」で囲むのはやりすぎである。 |
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獲得語彙と使用語彙は違う |
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語彙は豊富でなければならないが、使うに際しては慎重でなければならない。自分の書いたものの発表の機会を、新しく獲得した言葉の試用の場にしてはならない。 ひとつの著作物に何度も同じ言葉を使うのは、緊張感のなさのあらわれである。 |
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気取った文章は嫌われる |
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よく見られたいという誘惑に負けて得られる自己満足は、他者と共有できない独りよがり。こういうのを読まされた読者は白けてしまい、爽快に思うのは自分だけ。 気取らない平易な言葉、飾らない文章は好感を持たれる。 |
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引用したものは、その理由をはっきりさせなければならない |
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他人の著作物の文章を引用するだけで、自分の思いを語ったつもりになってはならない。同意できること、共感できることがあるのなら、それを具体的に示さなければならない。 |
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他者の模倣と感じさせてはならない |
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こういう著作物はこういう書き方をするものだと思いこんではならない。 廃れてしまった古めかしい言葉は、それを用いることに特別な意味がある場合以外は使わない。 先人の書いたもので読者が何度もお目にかかったような語り口や言い回しは、伝えたいことを台無しにしてしまう。 |
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癖のある文章であってはならない |
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同じ言い方を避けたいのなら、その著作物だけでなく、自分の他の著作も含めて注意すべきである。 同じような言い換えのパターンを、その著者の他の文章で何度も目にする読者は、見え見えの工夫にうんざりする。 個性的な文章のつもりが、鼻につく表現を多用していることもある。そういう表現に読者が慣れることはなく、疎んじられるだけである。 |
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他者の著作物への過度な賛辞は反感を招く |
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感情的で具体性に乏しい賛辞は、自分の判断力や思考力が安定した評価を得ているという傲慢さの表れである。 他者の著作物を語るとき、その文章の量にまで触れる必要はない。評価の尺度は簡明であるか否かである。 |
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仰々しい言葉は使わない |
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自分の行動について語るときは勿体ぶった印象を与えないように気をつけなければならない。 「見つけた、覚えている、借りた、持っている、行った…」で十分であるのに、大層な慣用句や熟語に置きかえない。 |
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自分の著作物は備忘録ではない |
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引用した本の何処に書かれているのかを明記する必要はない、正確であれば済むことである。 本のタイトルと著者名だけで示せるのであれば、出版社について語るのでない限り、社名まで書く必要はない。引用したものの詳しすぎる説明は、読者にそれを読むことを勧めているように感じさせる。本の紹介は書評家に任せればよいことである。 |