母は10年前の5月連休の直前に亡くなりました。
父は京都にある小さなお寺に懇意にさせていただいていたので、病院からそのお寺に母の亡がらを移し、そこで内輪だけのお葬式をさせていただきました。
どこにも知らせず、質素なお葬式が母の希望だったのです。
住職とその奥さんはとても親切で、手作りのようなお葬式をいたしました。
住職は自分の買いたてのきれいな布団に母を寝かせてくれました。
その布団は後で住職が寝るために使うのです。
小さなお寺の庭の掃除を住職と私がしました。
近くからもらった土を住職と私が何度も運んできて、お葬式のために庭の凸凹を修復します。
庭にあった古い木材などを片付けて、本堂にもお葬式のための場所を作りました。
住職は九州出身で、少し太っていますがとても力があります。
お坊さんになる前は、沖仲士などいろんな仕事をしてきたそうです。
奥さんもきさくな方で住職と同じ郷里から来られたそうです。
そのときは「坊守さん(ぼうもりさん)」と呼びました(仏教僧侶の妻という意味だったのですね)。
奥さんは今は副住職という地位になられています。
母は7人兄弟ですが、みな亡くなっていて母が最後でした。
翌日は母の甥夫婦だけ(母の長兄の長男夫婦で、ここだけには知らせたのです)が来られ、父と私たち兄弟3人とで質素だけど心のこもったお葬式をしました。
お墓は東福寺にあります。
東福寺三門をとおして向こうの若葉がまぶしく光ります。
爽やかな風薫る5月になります。
父は京都にある小さなお寺に懇意にさせていただいていたので、病院からそのお寺に母の亡がらを移し、そこで内輪だけのお葬式をさせていただきました。
どこにも知らせず、質素なお葬式が母の希望だったのです。
住職とその奥さんはとても親切で、手作りのようなお葬式をいたしました。
住職は自分の買いたてのきれいな布団に母を寝かせてくれました。
その布団は後で住職が寝るために使うのです。
小さなお寺の庭の掃除を住職と私がしました。
近くからもらった土を住職と私が何度も運んできて、お葬式のために庭の凸凹を修復します。
庭にあった古い木材などを片付けて、本堂にもお葬式のための場所を作りました。
住職は九州出身で、少し太っていますがとても力があります。
お坊さんになる前は、沖仲士などいろんな仕事をしてきたそうです。
奥さんもきさくな方で住職と同じ郷里から来られたそうです。
そのときは「坊守さん(ぼうもりさん)」と呼びました(仏教僧侶の妻という意味だったのですね)。
奥さんは今は副住職という地位になられています。
母は7人兄弟ですが、みな亡くなっていて母が最後でした。
翌日は母の甥夫婦だけ(母の長兄の長男夫婦で、ここだけには知らせたのです)が来られ、父と私たち兄弟3人とで質素だけど心のこもったお葬式をしました。
お墓は東福寺にあります。
東福寺三門をとおして向こうの若葉がまぶしく光ります。
爽やかな風薫る5月になります。