ジョンエスアームストロング

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醍醐寺から岩間寺を経て石山寺へ
 京都の醍醐寺から大津市の石山寺までのハイキングに行きました。

 記事中の(地図)をクリックしていただきますと、関連した地図を表示します。
 地図の のクリックで、簡単な説明を表示します。
 地図は拡大・縮小、移動が可能です。

 醍醐寺(地図) は行ったことがなく、紅葉の季節の石山寺も初めてでした。
 私にも参加できる山岳部の企画はありがたいです(参加者は4人でした)。
醍醐寺参道
 真言宗醍醐派の総本山である醍醐寺の本尊は薬師如来で山号は醍醐山です(深雪山とも)。
 この辺りの桜もいいですよと勧められたことがありますが、秀吉の「醍醐の花見」として有名ですね。

 先頭の画像の唐門は、醍醐寺三宝院の勅使門で桃山時代のものらしいのですが、これは応仁の乱で焼失しなかったのでしょうか。
唐門(国宝) 下醍醐のどこか 下醍醐のどこか 上醍醐のどこか 上醍醐のどこか
 下醍醐とは、醍醐山麓の広大な平地の大伽藍を言うそうで「金堂」「三宝院」などが中心らしいです。
 これらは応仁の乱によってほぼ全焼し、創建当時のままのものは五重塔のみということですが、撮ったものの、大部分が木の葉に隠れてお見せできるような写真ではありませんでした。

照れ隠しでしょうか「誰もしないから」 あなたがしてる誰かがしたこと

掃除をかってでてるおばさん
 左はしから水が流れていて手をすすぐところらしいです。
 浅い溝に溜った落ち葉を、おばさんが洗い流していました。
 このおじさんに「誰も(掃除を)やらないから」と話しています。
 おばさん、あなたのしているそれが不特定の誰かがしたこと。それだけのことですよ。


 ここから上醍醐に向かいます。
 山頂に近づくにつれて、拡声器で流される読経がとても大きく聞こえてきます。
 読経は録音でしたが、准胝堂の内部では3人の僧が実際にお経をあげていました。
 午前と午後の2回行われるとの案内がありました。

 白南天にピントを合わせてみましたが、思うようなイメージに撮れません。
上醍醐の白南天

准胝堂
 准胝堂(地図)は西国三十三箇所観音霊場第11番札所で、薬師堂、清瀧権現拝殿、五大堂などがあります。


 以前は薬師堂に本尊の薬師如来坐像と両脇侍像(日光菩薩、月光菩薩)が安置されていましたが、保管上の問題で2000年に下醍醐寺の霊宝館に移されたらしいです。
 一応、薬師堂の内部を撮りました。
 三鈷杵(さんこしょ)らしいものを右手に持つ、高僧の像のように思います。
薬師堂の内部

薬師如来坐像(国宝)
 今は霊宝館に安置されているという薬師如来坐像です。


 五大堂は上醍醐にあって、不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王を五大力と言うそうです。
 五大堂の中を覗いて見ましたが、私には不動明王、降三世明王、軍荼利明王しか見えませんでした。
軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)、不動明王、降三世明王

下は上醍醐から岩間寺(いわまでら)までの行程で撮ったものです
如意輪堂 開山堂 岩間寺 不動堂 岩間寺護摩道場の屋根だけ
 先頭の画像、如意輪堂は上醍醐にあります。

 岩間寺(地図)は滋賀県大津市にある真言宗醍醐派の寺院で、本尊は千手観音。
 正法寺 (しょうほうじ)の別称で、西国三十三箇所観音霊場第12番札所です。
 不動堂は度々建て替えが行われていて、現在のものは1993年らしいです。

 護摩道場では、真言宗醍醐派修験道の柴燈(さいとう)護摩が焚かれるそうです。

岩間寺へ向かう途中で
葉牡丹ですか
ふた月前には疎ましく思えた日差しを探し、その下でお昼をいただきました

石山寺(地図)に到着しました。
石山寺 奥に多宝塔を望む 鐘楼 石山寺 石山寺の珪灰石
 石山寺は真言宗の寺院(本尊は如意輪観音)で、西国三十三箇所観音霊場の第13番札所。
 本堂は天然記念物の珪灰石の(硅灰石とも)岩盤の上に建っているのですね。

紫式部像(お顔の彫が深い)
 石山寺にある紫式部像ですが、このような姿で書いてると肩が凝りそうに思います。
 また、私はこのような筆の持ち方で書ける自信がありませぬ。
 途中で見たコシキブを背景にしてみました。


 石山寺の多宝塔は好きです。
 大日如来像(快慶作)が安置されているそうです。
 少し寒くてハイキングにはちょうどいい天気でした。

 参加者のうちの二人は西国三十三箇所観音霊場を巡ることにされていて、この日は3箇所で朱印をいただくことができました。
多宝塔(国宝)

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東山九峰巡りハイキング
京都一周トレイルの道標
 秋はやっぱりハイキングで、きまりっ!
 「歴史ゆたかな東山九峰巡り」というのに参加したよ。

 京都東山を、伏見稲荷 → 千本鳥居→ 四辻 → 泉涌寺 → 今熊野観音寺 → 阿弥陀が峰 → 将軍塚 → 尊勝寺 → 粟田神社 → 丸山公園 というルートです。

 老男若女たち約34名、結構歩いたなぁ。
 老男若女(ろうなんにゃくにょ)は誤字にあらず数名の女性に対する心優しい気遣いです。えへっ
 約34名というのは途中でリタイアされた方もいたからです。


 9時58分着の電車 でんしゃ でJR伏見稲荷駅に到着したら「遅い」と言われた。
 10時にその駅に集合という案内なのに。たまげたなぁ。
 本来「京都時間」というのがあるぐらい、京都は時間に甘い土地柄で、10時集合という申し合わせで昼頃に顔を出したら「用事をすっぽかして来たのか」と心配されるぐらいなのです(信じないでね)。

 「千本鳥居 鳥居 」ではところどころ根元の朽ちた鳥居が抜かれていて、その場所には30センチほどの高さの角柱が挿されていた。
 見てみると、入れ替わって鳥居を立てる方の予約らしくて、細い鳥居が並んでいるところは必ずといっていいほどこれがあったけれど、上のほうの太い鳥居が朽ちた跡にはあまりなかった。
 鳥居の太さが全然ちがうからね。作る費用も寄付の額も大違いなんだろね。

 「四辻」というのは最上部にまつられている神社に上がる石段の手前、土産物屋もある小さな交差点の名前だった。


 ここの石段を少しあがったところにも茶店らしいのがあり、向かいの床机に看板娘が日向ぼっこをしていた(青いシートの重しの役目かも知れない)。
 さっそく撮らせていただいたのだけど「艶やかにお願いね。あとで何か買ってね」って顔してた。こういうのに慣れてるんだね。

伏見稲荷の茶店の看板娘

泉涌寺大門
 泉涌寺は大門を眺めただけで通り過ぎた。

 皇室の菩提寺なので(皇室に関係する寺なので)、御寺(みてら)と言うそうだね。



 今回は中に入らなかったから、3年前の5月に訪れた時の泉涌寺の風景を見てね。
 本坊は庭園しか撮影が許可されてなくて 撮影禁止(どこのお寺もそうみたいだけど)。

 大門を入った左奥に(彩色がきれいな)「楊貴妃観音」が安置されているけれど、それも撮影禁止だったからね。

5月の泉涌寺

どこかの頂上
 泉涌寺のあたりで食事休憩をして、今熊野観音寺から将軍塚へ向かうどこかの小さな山の頂上。
 何という山だったか思い出せない(情けない)。

 下は京都市街の夜景がきれいに見られるので、デートスポットとして有名な将軍塚だよ。
説明の立て札はこちら
それぞれの団体の様子は、こんなふうだった。
将軍塚の展望台付近
老男若女は、ここまでの道のりが長かったので、ややお疲れモード。
にゃんずはここを根城にしているので、の〜んびりと日向ぼっこ。
若いおじょうさんたちは、元気に京のみやこをながめてる。

 ちなみに、おじょうさん達を引率してきたらしいご婦人(先生だと思う)が彼女たちの後ろにいて、マテバシイの実 マテバシイの実 がどうとかこうとか大きな声で説明してたけ ど、そんなこと聞いちゃいなかったみたいだね。


 レポーターmuca レポーターmuca は、にゃんこたちにインタビューを試みたけれど、みんな寡黙でねぇ。

 にゃんこAは端整なたたずまい
 (って、にゃんこに使うか)
にゃんこA

にゃんこB
 にゃんこBはちょっといぶかしげ
 「な〜に、あんた」


 にゃんこCは気持ちよさげ
にゃんこC

にゃんこD
 にゃんこDは上目づかいにこちらを窺う


 円山公園で解散になったけれど、元気が余っていた4人 疲労困憊緑 疲労困憊ピンク 疲労困憊青 匍匐前進 は京都駅まで歩くことにしたよ。
 3人と書いていたけど、実は4人だったのを思い出したので(自分を忘れたみたい)、私を加えました。(^_^;)

 途中でコゲラも見られたしね(小さくて撮るのはあきらめたけど)。
 傾く陽射しにお寺(建仁寺の一部かなぁ)が明るい。
建仁時の一部?

風船唐綿
 どこかのマンションの玄関に(飾りものらしい)井戸があって、その周りに咲いていたもの。
 もしかしたら風船かずらかなぁと言ってみたのだけど、帰ってから調べて風船唐綿(ふうせんとうわた)だったことを思い出した(「風船かずら」とは葉の形もまるで違う)。
 どなたかのブログで見た覚えがあったのかなぁ。


 この日は暖かくて、鴨川もおだやかに流れていた。

 チュウサギらしいのが、魚を狙ってじっと立っていたよ。
鴨川で(チュウサギ?)

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料理(牡蠣と舞茸ご飯、鰤の照り焼き、林檎のみぞれ合え、他)
 料理部の活動日、東福寺に寄りました(通天橋を見ています)。
 今年は美しい紅葉は望めないかも知れません。

紅葉遅き東福寺

 11月に実習したいテーマとしてリクエストのあったのは、鰤(ぶり)の照り焼きとプリンでした。
 「すいとん」も推挙しようとしましたが、10対1で否決されそうで。

料理はクリックしてくださいね 簡単な説明を用意しています


 この日は作業がたっぷりあるという予感がしたので、自称総料理長はしばらく隠れていましたが、あいつが居ないほうがうまくいくという前例ができてもまずいので適当に現れて刻みなどをやりました。
ジャスミンティープリン 林檎のみぞれ合え 鰤の照り焼き 牡蠣と舞茸ご飯 豚汁の白味噌仕立て

料理 | comments(20) | trackbacks(0) | pookmark
枯葉
銀杏と楓
 囲碁同好会の活動日(集まって碁を打つだけのこと)、歩きたかったので早めに出ました。
 皇子山公園のそばを通ったら、競技場から声援が聞こえてきました。
 何気なしにトラックのある方向を見たら(スタジアムになっていて見えないのですが)、少し紅葉した木が目に入ったのでフラフラと近寄り、落ち葉を拾いました。
 小さい銀杏の葉を一枚と、楓のあまり赤くなってないのを一枚選びました。
 碁を打ちながら「実にきれいですな」と対戦相手に見せました(実に迷惑ですな)。

 翌日、これで色鉛筆画を描くことにしました。
 デッサン用紙に鉛筆で下絵を描いてからトレーシングペーパーに移し(両面から硬い鉛筆で正確になぞり)これをケント紙に重ねます(メンディングテープで端を留めます)。
 線描きの部分を(これだけは我が家にも豊富にある)1円玉でこすります。
 テープは描画部分近くに貼らないと、わずかですがトレーシングペーパーが動いて線が太くなってしまいますね。

 色を塗る箇所の線を練り消しゴムで取りながら描くのですが、私には(薄い色で塗る場合)少し難しいです。
 銀杏は早目に色塗りをしたのに、カエデの方は忙しくて数日遅れました。

 さて、今朝カエデに取りかかろうとしたら、しなやかだったカエデの葉が固くなり、いささか端が丸みを帯びていました。

 枯葉とはいえ「描くのは旬のうちに」が今日の教訓でした。


 色鉛筆の話ですが、軸に塗られている色と芯の色は(あたりまえですが)違います。
 軸に塗られている色に惑わされて鉛筆を選ぶと失敗します。
カラーチャートの失敗作
 だから教本に従って私もカラーチャートを作っていたのですが、ケチな私は実際に使うケント紙ではなく、ありあわせのスケッチブックを利用しました。
 紙によって発色が違いますから、後日、作り直そうと思います。

 水彩色鉛筆は友人にもらった「STAEDTLER」の36色セットに、3色を買い足して使っています。
私の水彩色鉛筆
 軸に色名が書いてあるといいのですが、番号しか書いてないので(多分どのメーカーも同じ)私はカラーチャートに頼りっぱなしです。

 描き終わったあと、無心に鉛筆を削るのがいい時間です。


水彩色鉛筆 | comments(20) | trackbacks(0) | pookmark
朝日紙面モニターの集い
 みなさまこんにちは〜。
 ニャンパルさんの「フェルメールと朝日」の記事のうちの「モニターの集い」の大阪地区を担当してますmucaです。
 ニャンパルさんはその日のうちに書かれたので、私も今日のうちにレポートしなきゃということで。
 いそがしいなぁ ジョギング。新聞やないんやからもうちょっとゆっくりしたかったなぁ。

朝日新聞社大阪本社(北側)
 朝日新聞社の見学の受付は、11時半となっていたが、これは受付の開始時刻らしく、中に入ってから12時まで待たされてしまった(お腹すいたおでん)。
 過去3期の紙面モニター(集いに参加したのは全員で50名強)が期毎の班に分かれて見学をした(私は第1期)。
 社内見学は先ず地下4階まで降りてから順次上階へ。
 発送するところ、束にして宛名を添えながら梱包するところ、オフセット印刷をするところ、というように工程を逆に見ていくことになるが、この順序はどんな意味があったのかなぁ。
朝日新聞社大阪本社(南側)
 カメラ についてはなんの注意もなかった。ただ「はぐれぬようにするべ」と言われただけ。
 けれど、誰も写真を撮ろうとしないので私も懇親会まではカメラを出さなかった(紳士は目立つことをしないものだからね)。
 二つ折りにした紙を重ねていくときはところどころで逆にしないと折った側が厚くなるが、新聞を束ねるときは受ける側の装置が規則的に180度回転してこれを行うようになっていた。
 昔の方式の半円筒の版(活字を組んで輪転機にかけるための判にしたもの)の見本があったが、皆一瞥して通り過ぎるだけなので、これでは愛想がないと思い、持ち上げてみたがものすごく重かった。豚(なぜに私がここで登場するのか。ブー!)

 記事を編集するところで意外に思ったのは、地域版(京都、奈良、和歌山や滋賀など)を担当する各グループの小規模なこと(1府県当り2人ぐらいしか担当していないみたい)。
 紙面モニターをしていたときに、地方の記者が忙しすぎるのではないかと意見を言ったことがあるが、大阪本社でもこの程度の担当しか居ないのだから、一貫性はある(?)。
 それに、記事の校閲(間違い探し)をする人も少人数だった。
 ちなみに私のブログの校閲者は一人だけ(普通、みんなそう)。

 事務所は天井が低く、床は下にコンピュータのLANケーブルなどを這わすために浮いていて圧迫感がある。
 新聞社の事務所はフランクな雰囲気がいい。
 服装も自由なようだ(派手なTシャツを着た若者もいた)。
 ニャンパルさんも書いていたが、見学者コースからは迂闊に侵入できず、記者に「そこは少し笑いをとったほうがいい」とかの貴重なアドバイスはできなかった。鉛筆2

 途中で何度も記念写真を撮るのにはまいったね(前も言ったが、撮るのは好きだけど撮られるのはキライ)。
 立食による懇親会では大阪のMという女性(同年輩)と隣同士になったが、この人はとても広範囲に興味を持ってモニターをしていた面白い方だった。
 モニターの苦労話(よい記事は見つけやすいが、同じ指摘をしないようにしながらよくない記事を探すことの難しさ。モニター担当の期間は新聞ばかり眺めて多忙だったこと)などで意気投合したが、モニター同士で盛り上がっていると朝日の方が割り込んで来ないので気を遣った。
拿捕された朝日の某氏
 それでも時々近くに漂ってきた朝日の人を2人で捕まえていろいろ話をしてもらった。
 話ができたのは国際なんとか(すみません。よく覚えていない)と、編集局長の補佐らしい方と、紙面オンブズパースンなど。
 主にMさんに意見や質問をさせてあげ(私は優しいからだが、ほんとのことを言うとやりとりを聞いている方が面白かったので)、隙を見て私がした意見は「記事は横書きが早く読める。句読点の位置の工夫なども楽ではないのか」ぐらいだった。
 それ以外では日頃気になっている、東京本社と大阪本社の1面の記事の相違がどの程度なのかというくだらない疑問で、これは予想したとおり「取り上げたものは内容が同じですが、対象はかなり違います」だった。
 関西人に迎合してくれなくてもいいから、全国的な観点で載せてくれないと記事の軽重を見誤るなぁ。
懇親会風景
全体的には和気藹々という雰囲気だったよ
参加者はみんな朝日を継続して購読している好意的な読者だから

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京都東山ハイキング
 山岳部の秋の集中ハイキングに参加しました。

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詩仙堂までの道で
 今回もコースは3つに分かれていました。

1.お寺満喫コース

 「左京から東山の名立たる寺院を総なめ。大文字山から京都市を一望できます」というキャッチフレーズが添えられています。
 ルートは、修学院駅→曼朱院→瓜生山→銀閣寺→大文字山→日向大神宮

2.御利益いっぱいコース

 ルートは、伏見稲荷→泉涌寺→清水山山頂→将軍塚→日向大神宮

3.動物園コース

 「動物園を堪能します」とあります。
 ルートは、京阪三条→動物園→(疎水記念館)→日向大神宮

 つまり参加者は最終的に日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)に集合して、目下の国際情勢をそれぞれの観点で論じるという企画でした(多分)。

 お寺大好きの私は迷わず「お寺満喫コース」にしました。
 私が動物園に入ろうとしたら「家庭内の動物を持ち込まないで下さい」と咎められる恐れがあります(ゴミの場合か、それは)。
 私の魂胆を見透かしたような「御利益いっぱいコース」には後ろ髪を引かれたけど。

 雨が少し降っていたけれど、多分「止まなかった雨はない」という反論しがたい理由かなんかで決行となりました。
 叡山電鉄の修学院駅に集まって一路曼朱院(曼殊院とも)を目指します。
 曼朱院は天台宗の門跡寺院で、大書院・小書院・八窓軒茶室・庫裏は重文、国宝の不動明王(黄不動)は三大不動の一つらしいです。


 中には入らず、小雨の中で生き生きと歩き回るカニ君を追いかけました。
 だから曼朱院の写真は撮りませんでした。許してね、曼朱院。

 余談ですが、カニ君を撮るときは知らず知らず自分も横歩行での追跡となります。
沢蟹くん

詩仙の間から庭を見る
 詩仙堂(地図)では堂内を観賞しました。
 江戸初期の石川丈山はんが1641年(寛永18年)に造営、隠棲した山荘跡らしいです。
 詩仙の間には狩野探幽の筆になる中国の詩仙36人の肖像画がありました。
 この肖像画が詩仙堂と呼ばれる所以で、元の名は丈山はんが「凹凸か(おうとつか)」とつけたみたいです。
 でこぼこの地に建てられたからで、「か」は果に似た難しい字です。
 幸いにも撮影禁止なので無駄な努力が要りません(絵が古びて色あせているので私がどんなに頑張っても綺麗に撮れるわけがない)。

 石川丈山はんを(気安く呼んでる割には)存じ上げてなかったので、さっき少し調べました。
 もともとは武士だった文人で、江戸初期の漢詩の代表的人物とされ、儒学・書道・茶道・庭園設計にも精通していたとあります。


 「凹凸か」のあとで唐突ですが八大神社の拝殿です。

 ご祭神は素盞鳴尊(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、八柱御子神(やはしらのみこがみ)とあります。
八大神社

宮本武蔵
 宮本武蔵はんの像のそばにあるのは吉川英治はんの「随筆宮本武蔵」の中の次のような箇所の説明です(私は省略して書いてます)。

 吉岡一門と決闘をする朝「勝たせたまえ、今日こそは武蔵が一生の大事」と祈ろうとしたが、その気持ちを一蹴して一乗寺下がりの松へ駆け向かった。
 武蔵が自分の壁書としていた独行道の中に「我れ神仏を尊んで神仏を恃(たの)まず」とある。
 道中があまりに静かだったので「宮本武蔵って実在の人物やったんや〜」としょうもない冗談を言ってみたら、「あたりまえですやん」と言われてしまいました。


 狸谷山不動院(たぬきだにさんふどういん)へは定期的に阪神タイガースの優勝祈願に来られているグループがあるのですね。
 狸の置物がいっぱいあったそばに、優勝お礼の碑がありました(碑にはあのトラの顔も描いてありました。狸たちと違和感あったよ)。
狸谷山不動院本殿

瓜生山山頂
 瓜生山(地図)ではこれが私には唯一山頂を明らかにしているもののように思えました。
 播磨国からこの山に現われた牛頭天王はんがキュウリを好物としたことから山の名がついたそうです。


 時間がおしていたので銀閣寺はスキップしました。
 お腹が空いていたのか、大文字山への登りはスピードが早かったです(息がきれそうだったけど名誉のためにも口に出せない)。
 市街を見渡すときは何時もあのおぞましい京都タワーを探して位置の見当をつける自分に苦笑します。
大文字の火床

大文字山を下る
 大文字山(地図) でお昼を食べ、「大」の字の火床のそばを通って下山します。
 石が多くて濡れているのでどうしても足を緊張させて降りることになります。


 蹴上の浄水場のそばを通って、日向大神宮(地図)に集合しました。
 ここに到着したら雨がきつくなってきたけれど、しばらくしたら晴れ間も見えてきました。

 なじみで大先輩でもある宮司さんに歓待していただいて、秋季ハイクは無事に終わりました。
日向大神宮

動物園コースからの子どもたちとも合流しました
子どもたちと合流
記念写真を撮りました
記念写真をいただいたので追加しました

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幽玄の間
 囲碁名人戦の第6局目の中継がされています。
 私はインターネットの「幽玄の間」で観戦します(盤面が表示されていて1手づつ着手されるたびにそれが示されます)。
 下の画像は幽玄の間ではなく、一昨日の京都御苑です。
 いきなりオタク関係の画面を見るとパソコンのコンセントを引き抜く方がおられるかと思い。
京都御苑

 以前は幽玄の間を無料会員として見ていたのですが、プロ同士の対局は無料会員には見せてもらえず、このような大きい棋戦(他に棋聖戦、本因坊戦など)だけがサービスされて見られたのです。
 才能がこぼれる程ある私こぼれてしまったと言われてる私は、いつもプロの試合を観戦して勉強したくなります。
 棋譜(1手ごとの対戦記録)を眺めて石を並べることが勉強になります。
 この辺で、当ブログの閲覧者も半分ほどがこぼれます。下向き

 有料会員だと、プロ同士の対局も見られて棋譜を保存したり印刷もできるのです。
 だから、10月から幽玄の間の有料会員になりました。
 これからはお金までこぼれることにならないようにしたいです。

 これは幽玄の間を管理している方にも読んでいただきたいのですが、表示のされ方(特に印刷のされ方)に不満があります。
 だから、私は中継を見るとき以外は自分の作ったプログラムで棋譜を眺めたり、印刷したりしています(棋譜はダウンロードできるのです)。
 この辺で、当ブログの閲覧者の大半もダウンしています。下向き

 私が不満に思って自分のプログラムに取り入れたことを書きあげてみました。

表題などの印刷面積が大きいが、意味のある表示は対局者名しかない

 保存した棋譜に付いてくる情報の内、大事な情報だけを印字するようにしました。
 棋譜ファイルには自由に備考を書き込めるようにしていますが、それらも印字します。
 ここまでくると、当ブログの閲覧者はあなただけになります。!!
 いいですね。あなただけがたよりです。

着点を探しやすく

 印刷はモノクロで、全ての着手番号が印字されると煩雑で見にくいので、任意の着手数ごとにページを替えて印字させることができますが、紙数が多くなってしまいます。
 オプションで手順番号の100手毎に数字の色を変えられるようにしました。
 一枚に全ての手順を印字しても少しは着点が見つけやすくなります。
盤面が見やすいんだわぁ

盤面の横と縦の升目の位置(正確には線が交差する位置)の印字が省略されている

 印字させました。
 勉強会で使うときにも便利なので。

盤面に表記できない着手の処理

 手数が多いものは、一度着手した位置にも2度3度と石が置かれることが多いのですが、この場合はそれが欄外に印字されます。
 だけど既に打たれた手順番号のどれと一致するかが印字されるだけで、しかもそれがフッター(「日本棋院棋譜印刷」などと印字されます)部分に上書きされることになってもお構いなし。
 フッターという無駄なものは印字せず、横と縦の位置番号も印字するようにしたので着点が探しやすいです。
欄外もとても親切
 備考はこれらを印字した次の行から印字させています。

盤面の横位置を表現する記号がアルファベットなので、違和感があります

 NHK杯戦の解説盤のように、横も数字にしました。
 これ以外の画面表示機能は幽玄の間と全く同一にしています。
 相手の石で囲まれると、囲まれた石が盤面から取り上げられてしまうのですが、当然その仕組みも織り込んでいます。

京都御苑建春門
京都御苑の建春門です。

お詫びのしるしに、オタク記事だったことなど忘れてしまいそうな景観をあなたに。

囲碁 | comments(23) | trackbacks(0) | pookmark
植物園で
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