都合で記事が後先になっていますが、24日は集中ハイキングの下見に参加しました。 降雨確率90%という予報でしたが、下見に中止はありえない(下見なしで本番を迎えるはずがない)と考え、私は行く気満々でした。 前日に登山用品店でパックカバー(ザックに被せて雨を防ぐもの)を買いにいったぐらいですから。 ところが、総リーダー以外のリーダー(各コースのリーダー)の中にはてっきり中止と予想して、前夜に深酒をしていた方までいたらしいです。 リーダーでもなんでもないお邪魔虫の私が意気揚々とやってきたので、あきれられました。 |
写真は円成寺の苑池から桜門を眺めたところです。 |
近鉄奈良駅からバスで忍辱山(にんにくせん)まで乗ります。 私は4年前、円成寺の大日如来坐像(運慶作)を目的に来たことがあります。 そのときは「次は円成寺口です」という車内放送で降車の合図をしてしまい、一呼吸おいて「円成寺へは次の忍辱山でお降りください」と放送が続いたので、運転手に「間違えました。忍辱山で降りたいです。お詫びして訂正します」と言いました。(^_^;) |
JRで大津駅から京都駅に向かう途中、出入口付近にある補助席に若い女性が2人、結構大きい声で話していました。 少しして突然、通路側の女性が通路を挟んだ隣の補助席の若い男に話を振りました。 「なぁ、人の話聞かへんなぁ〜」 「え? 何?」と、その男。 「人の話聞かへんやろ。B型」 「・・うん」と、男。 「な。B型は人の話聞かへんねん」と、その女性が隣の女性に言い、会話が続きました。 |
柳生街道は尾根道が多く、道も太くて歩きやすいです。 「峠の茶屋」を過ぎて少し谷道を下り、地獄谷石窟仏(せっくつぶつ)を眺めました。 凝灰岩をくり抜き、その側面に仏像が線刻されているという説明書きがあります。 聖(ひじり)が住んでいたという伝承があって、聖人窟とも呼ばれているそうです。 |
向かって右から、妙見菩薩坐像、十一面観音像、盧舎那仏、薬師如来らしいのですが、よく見えなくて申し訳ないです。 中央の盧舎那仏は(弥勒仏は石仏で作られることから)弥勒仏という各諸説があると書かれていました(各諸説って?)。 |
荒木又右エ門が試し切りしたという首切地蔵です(鎌倉時代の作との説明があります)。 なんという不信心なことをと思いましたが、刃こぼれ必至のそんなことするわけがありません。 今の時代なら名誉毀損で又右エ門さんから訴えられてるかも。 ここから下る坂は「谷坂道」と呼ばれ、江戸中期に奈良奉行によって敷かれた石だたみの道は、柳生方面から奈良へ米や薪炭を牛馬に積んで下り、帰りには日用品を積んで通るのに使われたとあります。 ところでこの日は雨が殆ど降らず、濡れていれば滑って歩きにくい石だたみなので助かりました。 |
倒木全体を取り去らず、道を塞いでいる部分だけを切り取ったのですね。 丁寧なのか、手を抜いたのかよく分からないです。 |
朝日観音です。 説明書きに、早朝に高円山の頂から昇る朝日に真っ先に照らされることから名づけられたが、実際は中央が弥勒仏、左右が地蔵仏とあります。 これも鎌倉時代の作で、この下方に(同じ作者と思われると書かれている)夕日観音もあったのですが、暗くて撮れなかったのです。 |
ハイキングの下見を終えた各リーダーが奈良公園に集まりました(全員で5人)。 南大門の南の小さな川に架かる橋に人がたくさん居て下を見つめていました。 橋の下の地面で、出産したばかりの母鹿が、何度も赤ちゃんを舐めてあげているのが見られました。 |
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この夜は小学校の同窓会があり、卒業時に同じクラスだった先生と生徒(あわせて19人)が大津の琵琶湖ホテルの一室に集まりました。 1年おきに開いている同窓会ですが、今回は卒業して50年経ったということで感慨もひとしおです。 私も幹事の一人だったのですが、先生の提案で一人ずつ近況を面白く披露して盛り上がりました。 再来年も皆が元気で合うことができますように。o(*^^*)o |