2010年09月30日 木 16:03
不思議な思いのする熟語がいくつかあります。
「多少」という言葉は、名詞としては「多いことと少ないこと」という意味ですが、副詞の場合は「いくらか」や「少々」の意味ですね。
これって不思議に思いません?
わざわざ習わなくても「多少あります」と言われれば、ちゃんと「わずかですがあります」または「あってもわずかです」と聞こえますよね。
「多い」と「少ない」が対等に使われている熟語なのに、少ない方にウエイトがかかっているように感じるのが不思議なのです(私だけ?)。
「手間ひま」という言葉も私には不思議。
私は単に「手間」と言っています。
「手間ひまをかけました」と言ったほうは、手数と時間をかけましたと言っているのですが、私は(手間はかかったかも知れないが、暇だったんならちょうどよかったじゃねえか)と思ってしまうのです。
これは私に非があります。
手間ひまの「ひま」という部分が「何もしていない時間や状態」という意味にとれ、この場合の本来の意味の「何かをするのに必要な時間」と、とることができないからです。
言葉のフシギに手間ヒマをかけました。
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10年以上前の一時期、琵琶湖の近くにはユスリカがたくさん発生していましたが、最近は見なくなりました。
イソシギはユスリカ類を好むそうですが、イソシギちゃんが活躍してくれているのでしょうか。
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2010年09月20日 月 23:49
2010年09月17日 金 08:01
2010年09月16日 木 12:00
2010年09月08日 水 10:38
これは♀でしょうか、メダイチドリの写真を友人が送ってくれました。
漢字では目大千鳥と書くのだよと教えてくれましたが、クリリ、クリリと大きい目を強調したような鳴きかたをするらしいのも可愛いです。
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3日前から2日間だけ、パソコンはメールをチェックする程度にし、メガネをかけずにできるだけ離して本を読むという苦行(大仰)をしておりました。
それこそ、お目目をおもいきりクリリとさせて文庫本を読んでいたのです。
これはつぎのような事情(これも大仰)からです。
これまでは運転免許証の更新のたびに近眼の度合いも進歩(といわないか)していたので、眼鏡も更新していたのです。
で、先日眼鏡屋さんに行きました。
ところがギリギリ0.7なので大丈夫かも知れませんと言われ、まだ更新の期限が先なので(9月生まれ)、試しに行ってみてだめだったらにしてはいかがですかと言われました。
その眼鏡屋さんからはいつもダイレクトメールが来ているほど商売熱心なお店なので不思議な気がしたものです(そこの奥さんもニコニコと眺めてましたし)。
字が判別しにくい距離で本を読んでいると視力が良くなるのは経験で知っていたのです。
とはいうものの文章は脈絡で字が推測できますが、円のどこが開いているかという図形はそんなわけにはいかず不安もありましたが(それに視力ダメ、却下!は恥ずかしい)、昨日更新に行き無事パスしたのでほっとしました。
それにしても、手続きは更新の手数料などを収めてから視力検査をするのですが(どこでもそうかしら)、視力が条件を外れていたらどういう処置になるのだろうと思います。
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