夏は桂まで歩いたので、今回はその続きで沓掛辺りから老ノ坂を、歩けるだけ歩くということになったらしい。 前回は目的地まで到達できなかったので、目標を決めて挫折感を味わうよりはいい。(;´∀`) |
京都駅から京阪バスに乗る。 バスは桂川の桂大橋という橋を渡り、桂離宮のすぐ近くの中村軒(和菓子屋さん)の前を通る。 三ノ宮という停留所で降りると、すぐそばに三宮神社があり、ここからひたすら西へ向かう。 |
樫原札の辻(かたぎはらふだのつじ)に「3士殉難之地」を示す立て札があった。 はて、池波正太郎氏の「人斬り半次郎(半次郎は後の桐野利秋)」では、この長州藩の3名(楳本直政、相良頼光、相良新八郎)に触れてあったかと記憶を辿るが、さっぱり思い出せない。 |
この辺り、竹林が多い。 |
三ノ宮神社 京阪バスを降りたところにも三宮神社があったので、3歩歩くと何もかも忘れる頭では混乱する。 先ほどの鳥居があったところは御旅所であるらしい。 |
三ノ宮神社の脇に出てこの道を上る。 |
宇波多陵(うわたりょう)だ |
桓武天皇夫人贈皇太后 旅子とある。 藤原旅子(ふじわらのたびこ) 素敵な名前だ。 |
女性のものらしい、柔らかな雰囲気の陵だ |
このクスノキは「区民の誇りの木」ということだ。 その割には、少し上の方の太い幹が結構大胆に切りまくられていたが、「誇り」なる言葉をクスノキが欺瞞に感じていなければいいのだが。 |
ツブラジイという木にも「区民の誇りの木」という札がかかっていたが、西京区には誇りになるものがあちこちにあって、この爺もうれしい。 |
桂坂中央通りを過ぎてしばらく行くと・・ |
大枝神社(おおえじんじゃ)がある。 この辺りは桓武天皇の生母の里であり、桓武天皇はここで育ったらしい。 |
大枝神社は、はじめは聖徳太子の幼児の像が祀られていて千児(ちご)明神と称していたらしい。 今は児子(ちご)神社として大枝塚原町に祀られているらしい。 |
愛宕山と彫られた石灯籠があった。 ここにお参りすると、愛宕山登山をしたことになるのだと言いつつ登るA氏。 愛宕山千日詣りからの連想かも知れぬが、納得しきった様子のA氏。 |
(日頃私が鳥博士と崇めている)B氏が「イソヒヨドリ」の♀だと教えてくれました。 |
今度はキセキレイ。 とにかく、鳥を見つけるのが早い。 |
京都縦貫自動車道の下を抜けて、京都霊園方面へ。 |
モクレンの葉が目に止まったので え? 珍しくない? (^_^;) |
秋らしさを感じて
え? 珍しくない? (´・ω・`) |
しばらくは気持ちよく歩いていたのだが、突然、クサリで道が遮断されている。 スズメバチが巣を作っている可能性があるらしい。 クサリをまたいで進み始めたものの、あちこちで襲われているというスズメバチのことが頭に浮かぶ。 「よりによって、いい年をした5人が・・」などという、大きな見出しの付くであろう新聞記事が頭に浮かぶ。 したがって、危うい所で分別を取り戻した私たちは「本日はここまで」として引き返しました。 |
それにしても、スズメノカタビラ、スズメノハカマ、スズメノマクラなど、小さいことからスズメが付けられた名前が結構あるのに、なんでスズメバチって言うのかしらね。 田舎の小振りな旅館も「雀のお宿」って言いますね(違うかも)。 スズメバチは、その模様が雀に似ているからだそうですね。 |