2004年発表の「Floribunda」、作出国は日本です。
コリン・コッタリル(Colin Cotterill)
彼の作品を2冊読んだ。
借りるか借りないかの参考にするのは、本の裏表紙。
サスペンスとしか書いてないのは先ず却下。そういう取り柄しかないのは、そういうのが好みの方に任せておく。
何らかの賞を得たという情報は参考にする。但し、その本で賞を得たかどうかが重要で、他の作品で賞を得た作家の著作というのはあまり参考にならない。
ユーモア・ミステリーといううたい文句はあてにならない。読み始めてすぐにそのレベルが露呈したものは、発行人に叩きつけたい衝動が起きる。
さて、コッタリルの作品であるが「三十三本の歯」の方は、裏表紙に“ヒューマンな魅力あふれる極上のユーモア・ミステリー”とあり、「渚の忘れ物」は、“CWA賞受賞作家が描く、社会派ユーモア・ミステリー登場”だった。訳者も発行所も違う2冊のセールスポイントが似ていて、自信がありそうなのは期待できる。
この2冊は登場人物の一覧に書かれている名前が少ないのも好ましい(一覧にない名前が出てきても、どういう役回りかなどと記憶にとどめる必要はない)。しかも、ほとんどがファーストネームだけなので、英語圏の登場人物のように、同じ人物を愛称やらなんたらで呼びかえ、混乱させられることもない。
「三十三本の歯」の方が発行年月が古いので、それを先に読んだ。期待をはるかに超えて面白い。主人公の検死官シリ先生が霊魂の世界とも行き来できるというのが、それほど違和感がない。
最近の私にしては珍しく「渚の忘れ物」も一気に読んだ。こちらは、ジムという名前の女性が主人公である。
2冊とも、アジアの貧しい国を舞台にした人情味のあるミステリーで、ユーモアあふれる会話が楽しい。頭のいい主人公というのは、読んでいていらいらするような焦燥感がないので、私は好きだ。
さて、コッタリルの作品はもう一冊発行されているのだが、利用している図書館にはないようだ。
他も探してみるが、どんどん書いて、どんどん訳してほしい。
借りるか借りないかの参考にするのは、本の裏表紙。
サスペンスとしか書いてないのは先ず却下。そういう取り柄しかないのは、そういうのが好みの方に任せておく。
何らかの賞を得たという情報は参考にする。但し、その本で賞を得たかどうかが重要で、他の作品で賞を得た作家の著作というのはあまり参考にならない。
ユーモア・ミステリーといううたい文句はあてにならない。読み始めてすぐにそのレベルが露呈したものは、発行人に叩きつけたい衝動が起きる。
さて、コッタリルの作品であるが「三十三本の歯」の方は、裏表紙に“ヒューマンな魅力あふれる極上のユーモア・ミステリー”とあり、「渚の忘れ物」は、“CWA賞受賞作家が描く、社会派ユーモア・ミステリー登場”だった。訳者も発行所も違う2冊のセールスポイントが似ていて、自信がありそうなのは期待できる。
この2冊は登場人物の一覧に書かれている名前が少ないのも好ましい(一覧にない名前が出てきても、どういう役回りかなどと記憶にとどめる必要はない)。しかも、ほとんどがファーストネームだけなので、英語圏の登場人物のように、同じ人物を愛称やらなんたらで呼びかえ、混乱させられることもない。
「三十三本の歯」の方が発行年月が古いので、それを先に読んだ。期待をはるかに超えて面白い。主人公の検死官シリ先生が霊魂の世界とも行き来できるというのが、それほど違和感がない。
最近の私にしては珍しく「渚の忘れ物」も一気に読んだ。こちらは、ジムという名前の女性が主人公である。
2冊とも、アジアの貧しい国を舞台にした人情味のあるミステリーで、ユーモアあふれる会話が楽しい。頭のいい主人公というのは、読んでいていらいらするような焦燥感がないので、私は好きだ。
さて、コッタリルの作品はもう一冊発行されているのだが、利用している図書館にはないようだ。
他も探してみるが、どんどん書いて、どんどん訳してほしい。